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Drop Today, Kill Tomorrow: Cluster Munitions as Inhumane and Indiscriminate Weapons
1997年12月 メノナイト中央委員会
【目次】 はじめに / クラスター爆弾とは何か / クラスター爆弾はどこで使用されたか / なぜ国防総省はクラスター爆弾を対人地雷禁止条約に含めることに反対するのか / 結論 |
2.クラスター爆弾はどこで使用されたか
クラスター爆弾は主にラオスとイラク・クウェートの2つの地域で、その脅威を刻みつけている。 A.ラオスの例 *「1年前までカム・メウン君はラオスのシェン・コウアン (XiengKhouang)地方の農村で他の少年たちと同じ様に暮らしていた。米の苗を植えたり、水牛の番をしたり、友達と遊んだりしていた。だが昨年(1996年)の11月のある朝、8歳の少年の人生は永遠に違うものになってしまったのである。二人の友達と共にザリガニを掘りだそうとしていて何か固いものが手に触った。少年が二人を呼ぼうと振り返った時、埋まっていたクラスター爆弾が突然爆発して、呼ぼうとした1人は即死し、カム・メウンは破片で目を失ったのである。もう一人の少年は軽傷を負っただけですんだ。」 *人道主義団体の調査によると、戦争が終わってから大雑把に見積もって1万人以上の人々がこうして死傷しているということである。 *およそ30%の不発率として、まだ400万個ものBLU-26(クラスター子爆弾)が今も水田や道端、地中に埋まっているのだ。1964年から1973年にわたって米軍は58万回以上の空爆をラオスで実行した。およそ230万トンの爆弾(その多くがクラスター爆弾)が落とされ、ラオスは世界でもっとも激しい爆撃を受けた国となった。平均すると、爆撃機一機分の弾薬が9年間にわたって8分毎に落とされていたことになる。カム・メウン少年が失明し、友人をボンビーで失ったシェン・コウアン地方では、当時の人口で住民1人に対して2トンの爆弾が落とされていたことになる。ラオスの政府当局者によると、わずか9年間の戦争中に落とされた爆弾を撤去するのに100年かかるということだ。 この現在進行中の悲劇は、身体的苦痛や損傷のような見えやすい被害にとどまらない。ただでさえ重荷を背負わされている医療システムはボンビーの被害者にまで対応できていない。またリハビリのプログラムを提供する場所があるとしても、貧しい人々にはほとんど手が届かない。人口が戦前並みに増加するのに伴って広い土地が耕されるようになっていることも大変な危険をはらんでいる。土地を開拓しようとすると死傷者が出るのだ。最も多く死傷者が出るのは、農作物を植える準備で草を焼き、土地を耕す2月なのである。 B.湾岸戦争の例 「何百人もの市民がクラスター爆弾で死亡した。イラクに投下された過剰な量の爆弾によって、これから何千人もの一般市民が犠牲になっていくであろう。戦争が終った後、2000人以上のクウェート人が不発弾で負傷したが、そのほとんどは子どもたちである。」 湾岸戦争におけるクラスター爆弾の使用は、イラクとクウェートに広大な地雷原を作り出してしまった。1994年、イラクで米軍の不発弾が13歳と11歳の兄妹の命を奪った。1993年にも同じような事故がイラクで起こった。8歳の少年が家族でピクニックをしていた時に死亡し、その妹も重傷を負ったのだ。バクダットからの報告によると、1991年8月の時点で、イラクで米軍が投下した爆弾による負傷者は440人、死者は168人にのぼるということである。 合衆国の前司法長官ラムゼー・クラーク氏は湾岸戦争における米軍のクラスター爆弾の使用、およびCCWで使用が禁止されているタイプの弾薬の使用を非難した。不発弾は湾岸戦争での米軍兵の死因の10%を占めている。米軍の見積もりによると湾岸戦争で使われた爆弾の不発率は10〜20%であり、これは「許容範囲」の3〜5%を大幅に上回る数値である。GAO(会計検査院)は既に10年以上前からクラスター爆弾の子爆弾製造過程における品質管理の問題を指摘していたのである。 イラクでは「地雷」と「クラスター爆弾」の間に境界線を引くことはほとんど不可能である。米軍はイラクで伝統的なクラスター爆弾もゲイター地雷も共に使用した。ゲイター地雷は、対戦車地雷とその除去防止用の対人地雷を混合して撒布するものである。クリントン大統領はオタワプロセスへの不参加を正当化する際、これらの兵器は自己破壊装置が付いているから一般市民には脅威にならないのだと主張した。しかし事実はその反対で、何百人ものイラクの一般市民が自己破壊することのなかったこれらの兵器によって殺傷されたのである。 イラクはクラスター爆弾を含む不発弾の除去作業を今も自国領土で続けている。…1997年8月30日、イラクの報道機関は1人の農夫が畑を耕していて湾岸戦争で撒かれた爆弾が爆発して死亡したことを報じている。 *CBU--89 Gator Mine C.クラスター爆弾が使用された他の地域 アフガニスタン アンゴラ アゼルバイジャン 旧ユーゴスラビア チェチェン コロンビア エチオピア グルジア レバノン ニカラグア シエラレオネ トルコ |